2020年10月2日金曜日

キリストは、ご自分を死から救う力のある方に、祈りと願いをささげ、その畏れ敬う態度のゆえに聞き入れられました。(ヘブライ5:1-10)

  自分がクリスチャンであることが明らかになった時、周りの人が良くする質問は、「何か大きな事故にでもあったの?重い病気にでもかかったの?」というものです。非日常的な苦しみに出会い、「苦しい時の神頼み」でクリスチャンになったのではないか、と思われているのです。期待を裏切って申し訳ないとは思いますが、私はそのような劇的な体験をしたわけではありません。多分、多くのクリスチャンの方々は、穏やかな経験の中で、穏やかな形で洗礼を受け、そして穏やかにお祈りされているものと思います。そうそう劇的なことが起こるわけではなく、穏やかな日常の中でお祈りしているのです。けれども、そのお祈りの内容は、全てが穏やかと言うわけではありません。私たちがお祈りを捧げる神様は、すべてのものの創造主であり、全ての喜びも苦しみを分かち合われる方です。死ぬほどの苦しみや、一刻を争う危機に際して捧げる祈りに、耳を傾けられる方です。私たちの祈りは、そのような神様とつながるものなのです。私たちが捧げる祈りの中には、命が掛かっているほどの重くて深い課題が込められています。穏やかな中で祈る祈りは、決して軽いものではありません。心を込めて、お祈りをお捧げしましょう。


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