私たちは、自分の子どもが、周りの人々から愛される子になってほしい、と願います。神様も、独り子イエス様に、同じように思われたのかもしれません。けれども実際に神様がなさったのは、イエス様を、愛されるのではなく、周りの人を愛する子になさったのです。その愛の道は、苦労の連続で、最終的には十字架に行きつきました。神様が心痛まなかったはずがありません。けれどもイエス様の十字架は復活となり、人々に愛を伝えるものとなりました。イエス様の救いの御業によって、人々の愛は深まりました。独り子イエス様は、愛されることの少ない人生でしたが、私たち人類が互いに愛し愛されるものとなったのです。神様の愛は深いものなのです。