日本聖公会初代主教のウイリアムス師は、「道を伝えて己を伝えず」という生涯だったと言われています。同志社の創立者である新島襄は、学生たちの前で、自分の手を、杖が折れるまで叩きつけました。彼らが人々に伝えたかったのは、自分の言葉ではなく、神様の言葉でした。神様の言葉が伝わることが、自分にとっての最大の喜びであり、神様の言葉が伝わらないことは、自分の命がとられるよりも辛いことだったのです。神様の言葉が、私たちを活かし、養ってくれます。語る者は、自分の欲望を交えずに誠実に神様のみ言葉を語り、聞く者は、素直な心で神様のみ言葉に耳を傾けたいと思います。