ともに造る世界 ゲーム『ファイナルファンタジー7リメイク』から
神は言われた。「我々のかたちに、我々の姿に人を造ろう。そして、海の魚、空の鳥、家畜、地のあらゆるもの、地を這うあらゆるものを治めさせよ。」 (創世記1:26)
ずっと関心はありながら、すっかりタイミングを失っていましたが、一念奮起、やってみました!テレビゲーム。スゴイです、とにかくスゴイです。コンピューターグラフィックの発達で、まるで実写のようなキャラクターが、自然に滑らかに動きます。また、物語が非常に凝っています。複雑に作りこんだ設定、あっと驚く展開、魅力的な登場人物、まるで映画のようですが、そこはやはりゲーム、モンスターも出てくれば魔法も出てきます。 すっかり魅了されてしまいましたが、悲しいことに体がついていきません。あまりに画面も動きもリアルなので、集中して画面を観ていると、だんだん「船酔い」のような感じになり、気分が悪くなってくるのです。「ゲームは一日三〇分以内」と自分で決めて、コツコツと続けていきました。その結果、二ケ月以上かけて、やっと一つのゲームをクリアしました。その達成感はとても大きく、世の「ゲーマー」さんたちの気持ちが、少しだけ分かったような気がしました。 私は映画やマンガも好きですが、ゲームにはそれらにはない魅力がありました。自分で物語を造り出していける楽しさです。自分の操作次第で、物語の展開が変わってゆくのです。自分が、ゲームの登場人物と一緒に物語を造り出しているような気分になりました。神様は天地創造の最後に、人間を造られました。それは、この世界のすべてのものを治めさせるためだと、聖書に記されています。神様は、一緒に世界を治めるようにと、私たちを招いてくださっているのです。私たちは罪深い者でありながらも、神様のお招きによって、不十分ながらも愛をもって世界に接してゆくことができるのです。人間はこの世界の「お客さん」ではありません。また神様は、決して「傍観者」ではありません。人間も、神様も、主体的に世界に関わっています。その意味で、人間は神様と共に世界を造り出す存在だと言えるでしょう。神様は、この世界を、愛によって造られました。私たちは、この世界が少しでも神様の愛にふさわしいものとなるよう、自ら悔い改め、祈り、愛をもって世界に奉仕してゆくのです。ゲームのようにきれいにクリアはできませんが、試行錯誤しながら、この世界で愛の道を歩んでゆきたいと思います。
京都聖マリア教会
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