2021年6月27日日曜日

主は言われる。「私は誰の死をも喜ばない。あなたたちは立ち帰って、生きよ。」 (エゼキエル18:21-32)


 ヤイロはイエス様に言います。「私の幼い娘が死にそうです。どうかおいでになって手を置いてやってください。そうすれば、娘は助かり、生きるでしょう。」ヤイロの必死の思いが伝わります。

 愛の交わりが、深いほどその人の苦しみは自分の苦しみとなり、自分の心からの思いとしてその人の幸せを願います。だから、私たちには「人ごと」で済ませられるものは、何一つありません。すべての人が愛によってつながった人だからです。

 だから私たちは、誰かの幸せを求めて祈る時、その人の「ために」祈るのではなく、その人と「ともに」祈るようになります。その人の苦しみも喜びも、自分も共に担い、祈るのです。イエス様は正に人々と共に生きられました。その生き方は、十字架と復活によって明らかに示されました。イエス様は、十字架によって私たちの苦しみを共に担い、復活によって私たちの喜びを共に分かち合われたのでした。

 イエス様にとって大きな悲しみは、イエス様と共に祈る者があまりに少ないことでしょう。残念ながら、イエス様と「ともに」祈るどころか、誰かの「ために」祈ることすら少ないです。イエス様と共に、全ての人の幸せを思い、祈りたいと思います。


京都聖マリア教会


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