司祭 ミカエル 藤原健久 折々のみことば
洗礼を受けたばかりの頃の私は、やる気満々で、何とかしてクリスチャンらしく生きたいという気持ちで一杯でした。時には、「キリスト教こそ一番いい」と、偉そうな気持や言動になっていました。でもその頃は、本当に分かっていませんでした。クリスチャンらしく生きるというのは、自分の十字架を背負ってイエス様に従う、と言うことなのです。自分の十字架には、自分のすべきことや責任、それに伴う苦難も含まれていることでしょう。十字架の喜びに少しずつ気づいていくのは、随分後のことでした。