司祭 ミカエル 藤原健久 折々のみことば
昔、誰かが語った言葉の意味が、ずっと後になって分かることがあります。「なぜあの時に分からなかったのだろう」と後悔します。けれども手遅れではありません。時間はかかったけれど、その言葉は今、私の心に届き、大きな力になったのです。言葉は、時間が掛かるものなのかもしれません。私の言葉も、きっと時間が経った後に、誰かの心に届くのでしょう。その間、ずっと聖霊が、私達の言葉のそばに居て、見守ってくれるのでしょう。
京都聖マリア教会
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