十字架は、死刑の道具です。それは歴史上の事実です。十字架が救いのシンボルになるには、私達に、共感と責任感が必要です。イエス様の十字架の苦しみと、イエス様と同じように苦しんでいる人々の苦しみに思いを馳せ、少しでもその痛みに共感しようとすること、そして、人々の苦しみに、自分が深くかかわっていることを思い、自分の責任を感じること、そのことによって、十字架は、自分の罪を贖う救いのシンボルになります。十字架は、自分の外にではなく、自分の心の内側にあって、救いとなるのです。
京都聖マリア教会
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