2021年8月29日日曜日

申命記4:1-9   エフェソの信徒への手紙 6:10-20   マルコによる福音書 7:1-8,14-15,21-23

  



イエス様は言われました。「外から人の体に入るもので、人を汚すことができるものは何もなく、人の中から出てくるものが、人を汚すのである。」私たちの社会では、悪いことは、実際に行ったことによって裁きます。基本的には、心の中で、何を考えていようと、関係ありません。けれどもイエス様は、心の中こそが最も大切だと言われます。確かにそうです。悪いことをしないようとどれほど体の自由を奪って押さえつけていても、心の中の悪い思いは抑えられず、そこから再び悪い行いが出てきます。悪い行いを制するだけでなく、私たちの心から悪が減り良い思いが増すように努めなければなりません。

 同じことは、悪いことだけでなく、善いことにも言えるように思います。善いことも、実際に行うことだけでなく、心の中でどれほど愛の思いを持っているかに気を配るべきでしょう。イエス様の言葉を借りるなら、「人の中から出てくる愛が、人を救う」のです。けれども私たちは日頃、このことをとても軽視しています。お金や物を用意することや、時間に間に合わせたり、体裁を整えることばかりを気にして、どれだけ愛の心を込めて行うか、ということを見落としていることが多くあります。もしかしたら、悪を行う時より、愛を行う時の方が、心を忘れがちなのかもしれません。「あの時、あの人のことを悪く思った」と言うことは強く覚えていても、「あの時、あの人のことを大切に思って、このことを行った」と意識することは、少ないのかもしれません。

 イエス様は、一人一人を癒し、また奇跡を行うときに、この上ない愛の心を込められました。私たちも一つ一つの行いに、愛の心を込めていきたいと思います。

 悪と同じように、愛も抑えられません。体の自由を奪い、押さえつけても、愛は沸き上がってきます。罪深い人間は、十字架によってイエス様の体の自由を奪いました。けれどもイエス様は復活され、抑えきれない神様の愛を示されたのです。私たちの心にも、愛の思いが沸き上がっています。一つ一つの行いに愛の心を込めて、歩んでいきましょう。