ダニエル書7:9-14
ヨハネの黙示録1:1-8
ヨハネによる福音書18:31-37
本日は教会の暦では1年の最後です。1年の最後の日には、過ぎた年を振り返り、新しい年に思いを馳せます。私たちはこの日に、イエス様の十字架を覚えます。それは、死を悲しむためではありません。希望を持つためです。イエス様の十字架は復活へと続きました。イエス様の死は新しい命に続きました。私達が十字架を覚えるのは、私達も、肉体の命を超えて、新しい命を生きることができる
という希望を新たにするためなのです。イエス様の救いは、この世を超えます。イエス様は言われます。「私の国はこの世には属していない。」神の国は、この世界を超えたものです。私たちは信仰によって、この地上にあって神の国を生きることができます。今はまだ、神の国が十分に現れているとは言えません。神様の愛より人の欲の方が幅を利かせているようです。新しい年には、この世界が、
少しでも神の国に近づいている、そのことを願い祈り、そして、きっとそうなると希望を持つのが、今日と言う日だと思います。
先日、ある方をお話ししていました。その方の口からは、感謝と希望の言葉が多く語られました。決して楽ではない、と言うよりかは、困難の多い生活の中で、生活のあらゆるところに神様の恵みを見出し、感謝し、神様の救いの御業に希望を持っておられました。感謝と希望は、勝手に生まれるものではありません。私達が物事を、前向きに、主体的に捉えないと生まれません。感謝と希望は、信仰によって生まれるとも言えるでしょう。感謝と希望は、神様のお恵みに私たちが応える形であり、神の国の扉を開ける鍵なのでしょう。新しい年に、感謝と希望を心と口にして、愛の道を歩みたいと思います。