敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。」ある学者さんが、この箇所を次のように解説していました。「力のない人々にとっては、敵にやり返したら、もっと激しくやり返されて滅びてしまう。敵を愛するとは、自分を守る術でもある。」確かにそうかもしれません。イエス様は「自分を守るために、愛しなさい」と言っておられるのかもしれません。
イエス様は言われます「裁くな、赦しなさい。」これも、自分を守る術なのかもしれません。人を憎んだり恨んだりするのは、とても苦しいことです。誰かによって傷つけられた人が、心まで苦しんでしまうのは、とても痛ましいことです。イエス様は「あなたは心まで苦しめることはないんだよ。自分を守るために、赦しなさい」と言っておられるのかもしれません。
それでも、納得できない思いや、やるせない思いが残ります。悪いことをした人は、それ相応の罰を受けるべきです。被害を受けた自分は、復讐をする権利があるはずです。敵を愛し、赦してしまうと、罰を与えることも復讐することも、諦めてしまうことになります。これは不公平です。この思いは当然です。けれども残念ながら、現実には正義が全うされないことも、少なからずあるのです。
私たちの悔しい思い、納得できない思いは、十字架のイエス様が全て受け止めてくださいます。イエス様の十字架は、不条理の極みでした。全く道理に合わない、正義に反した出来事でした。けれどもイエス様は十字架を受け止め、そしてそれを、復活の命に変えてくださったのです。
私たちの思いが無駄になることはありません。私たちはただ、愛と赦しを行っていきたいと思います。