共苦の心。
ゼカリヤ書12:8-10,13:1
ガラテヤの信徒への手紙3:23-29
ルカによる福音書9:18-24
「あなたがたは私を何者だと言うのか。」イエス様は弟子たちに、自分自身の考えを求められます。周りに流されるのではなく、自分で考え、判断した、自分の意見です。自分の意見を持つことは、とても大切です。けれどもイエス様にとっては、それだけでは不十分なようです。
イエス様は続けて、御自分の十字架について語られます。イエス様は、十字架のことを語ることで、弟子たちがイエス様の十字架を、自分のこととして捉えるかどうかを試されたのかもしれません。ひいては、他人の苦しみを、人ごととして捉え、無関心になっていないかどうかを、問われたのではないでしょうか。
そうすると、次のみ言葉の意味が、分かってきます。「私について来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、私に従いなさい。」このみ言葉は、人の苦しみを自分の苦しみとして捉え、そこから物事を考え、行動する、という意味だと思います。
私たちは、自分で考え、自分で判断して行動しなければなりません。しかし、自分の意見を持つには、様々な価値観や物の見方が必要です。イエス様は私たちに、それは、苦しむ人々に共感し、苦しむ人々の立場に立って、物事を考える、という見方を教えてくださいます。人々と苦しみを共にする心をもって、愛の道を歩んでゆきたいと思います。