共に生きる。
アモス書6:1-7
テモテへの手紙Ⅰ 6:11-19
ルカによる福音書16:19-31
本日の福音書は、私たちに、「悔い改め」について教えてくれています。この金持ちが犯した、悔い改めるべき罪は何でしょう。それは、他人の苦しみに無関心だったことです。では、彼にとっての悔い改めの業は、何でしょう。それは、自分のことだけでなく、他人の苦しみに心を配り、みんなが幸せに暮らすことのできる世界を造るために行動することです。つまり、「共に生きる」ということです。
もしかしたら聖書が言いたいことの中心は、「共に生きる」なのかもしれません。神様はいつも私たちと共に生きて居て下さる。イエス様は、私たちと共に生きるために、天から降って人の子となってくださった。私たちは、互いに愛し合い、共に生きなければならない。聖書が言いたいのはこのことなのかもしれません。
イエス様の十字架と復活も、共に生きるためのものでした。イエス様は、御自分のために十字架に掛かり、復活されたのではありません。私たち人類が、共に赦し合い、支え合い、共に生きるために十字架に掛かり、私たちが、共に希望を持って、共に生きるために復活してくださったのです。
本日の福音書では、悔い改めが決定的に大切なものであることを、私たちに教えてくれています。私たちにとって、共に生きることができるかどうかは、私たちの救いにとって決定的に大切なことです。神様の導きを祈りながら、共に生きていきたいと思います。