2022年10月23日日曜日

エレミヤ書14:7-10,19-22   テモテへの手紙Ⅱ 4:6-8,16-18   ルカによる福音書18:9-14


 本日のたとえ話に出てくる2人の人物の姿を見ていると、この傲慢な人の態度は、良くないと感じます。この人は、自分と他人とを比較して、自分の方が偉いと思い、他人を見下しています。けれども、人を比較するのは、あまり意味のないことです。人には様々な事情があります。目に見えることだけでは、比較しようがありません。どうしても、自分を誰かと比較したいのなら、神様と比較するべきでしょう。そうすれば嫌でも謙虚になります。神様より正しく、力のある方はいないからです。たとえ話の中で、徴税人は神様に懺悔のお祈りを捧げています。これは、徴税人と言う職業柄ではなく、全ての人の祈りの姿なのです。

 私たちは、比べるためではなく、愛するために人と出会います。比較して評価するのではなく、愛して互いに支え合うために、私たちは人と出会うのです。

 イエス様は、御自分を誰かと比較することはされませんでした。また、人々に、誰かと比較したような教えは、されませんでした。イエス様は、一人一人のそのままの姿を見つめ、愛して下さったのです。

 イエス様は十字架の上でも、御自分の痛みを誰かの痛みと比べる、なんていうことはされませんでした。イエス様がされたのは、同じように苦しんでいる犯罪人に、神の国の希望を宣べ伝えることでした。イエス様は、どのような時にも目の前の人を愛されたのです。私たちも愛の道を歩みたいと思います。