2020年10月1日木曜日

しかし、富んでいるあなた方は、不幸である。 (ルカ6:24) サタン、引き下がれ。あなたは神のことを思わず、人間のことを思っている。 (マルコ8:34) わたしの家は、祈りの家と呼ばれるべきである。ところが、あなたたちはそれを強盗の巣にしている。 (マタイ21:13)


泣き虫の王様   映画『キャメロット』から


随分昔に、テレビの深夜放送で見て、今回、改めて見直しました。五〇年以上前に作られたとは思えないほどの美しい映像と、その時だからこそ実現したであろう豪華なセットや小道具、美しい歌の数々に心酔しました。

 キャメロットとは、伝説の英国王、アーサー王の居城のある街の名前です。この作品はアーサー王を描いたミュージカルですが、ここには、華麗な竜退治も、神秘的な聖杯伝説も出てきません。ここに丁寧に描かれるのは、英雄である王の、喜びと悲しみ、葛藤と苦しみです。彼は武芸の達人、的確な指導者、正義への熱意の持ち主、人望も厚い、理想の王です。けれどもこの王様は、よく泣くのです。彼は、愛する人びとからの裏切りに傷つき、自らの挫折に後悔し、何度も何度も泣くのです。この王様は、強く、優しく、信念を持っているからこそ、苦しみや悲しみを避けずにしっかりと受け止め、心を傷つけるのでしょう。彼は、泣くことによって、より強く、より優しくなっているかのようです。

 イエス様が泣かれたと、聖書に明確に記されているのは一か所だけです。けれどももしかしたら、聖書に記されていないだけで、イエス様もたくさん泣かれたのかもしれません。イエス様は宣教の途上において、人々の罪や悪にたくさん出会われました。それらに対して時には、激しく叱られました。もしかしたらイエス様の怒りは、涙と共になされたのかもしれません。何故貧しい人の苦しみを分かってくれないんだというもどかしさ、弟子たちに神様のみ旨を十分に伝えることのできなかった後悔、人々の心が欲望で占められていることの悔しさ、それらの思いから、泣きながら激しく叱られたのかもしれません。イエス様は、人を裁くよりも、自分の心を引き裂きながら、正義を行っておられたのかもしれません。

 今、私たちの国でも、他の国でも、新たな指導者が選ばれようとしています。最近の指導者達は、相手を激しく非難し、機会があれば具体的に攻撃することを、正義と呼んでいるように見受けられます。それは、本当の正義でしょうか。人の悲しみや苦しみに、共に涙するのが、真の指導者なのかもしれません。真の優しさと強さを指し示す指導者達が、活躍してくれることを求めます。


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