2020年9月30日水曜日

むなしいものを見ようとすることから、私のまなざしを移してください。あなたの道に従って命を得ることができますように。(詩編119:33-40)

  私たちの生きる力は、希望から生まれるように思います。そして希望は、結果ではなく、方向性です。どちらの方を向いて歩いていこうとするか、が、希望の要です。希望は未来のことですので、結果はまだ出ていません。けれども、私たちが、正しい方向だと自信をもって言える道を向いて、歩みだそうとするときには、私たちは元気が出ます。歩んでゆく中で、困難に遭っても、希望をもって乗り越えてゆくことができます。けれども、私たちが自信を持つ事の出来ない方向に向いているとき、もしくは、明らかに間違っていると思う方向を向いているとき、私たちは希望を持つことができません。諦めと言い訳しか語ることができず、困難に遭うと、誰か責任者を探し出して、批判をすることしかできません。私たちは今まで、随分と希望を失ってきました。「今までのやり方を変えられないから」「お金が儲かるから」「楽だから」と言い訳ばかりをして、多くの、正しいと思えない方向を向いてきました。大人は子どもに希望を与える義務があります。子どもの教育では、いくらでも「正しさ」を教える大人が、正しい方向を向かないのは、おかしいです。子どもたちと共に、胸を張って、希望の道を歩んでゆきたいと思います。



京都聖マリア教会  

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