2020年9月29日火曜日

荒れ野で民は、神から与えられたマナを集めた。量ってみると、多く集めた者も余ることなく、少なく集めた者も足りないことがなかった。(出エジプト記16:1-18)

 マナは、神様が与えてくださったパンです。エジプトから脱出した民が、荒れ野で生きてゆくために、神様は天から、白くて薄くて、少し甘みのあるパンを降らせてくださいました。それがマナです。マナは、神様のパンですから、不思議なパンです。食べるものなどほとんどない荒れ野に降った、不思議なパンです。マナには、もう一つ、不思議なことがあります。それは、必要な分しか手に入れることができない、というものです。頑張って集めても、余りが出ることはなく、わずかな人手でも、足りないことはなかったのです。誰かが独り占めすることなく、誰かが漏れることなく、みんなが必要な分だけ手に入れることができるもの、それが神様のパン、マナだったのです。私たちの世界の、最大の不正の一つは、不公平です。食料が大量に捨てられている地域もあれば、食べ物が無くて人々が飢えている地域もあります。ごくわずかな億万長者が居るかと思えば、多数の貧しさにあえぐ人々が居ます。必要なものが、必要な人に、正しく分け与えられていないのです。これは正しくない状況です。マナは、神様の意志を私たちに伝えています。必要なものを必要な人に、公平に分かち合うこと、それが神様のご意志です。


京都聖マリア教会   


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