2020年9月17日木曜日

慰めよ、私の民を慰めよと、あなたたちの神は言われる。彼らの心に語り掛け、呼びかけよ、と。(イザヤ40:1-5)

 旧約聖書、イザヤ書の40章から始まる部分は、「第2イザヤ」と呼ばれます。イザヤ書は、書かれている内容の時期によって、3つの部分に分けられているのです。第2イザヤは、バビロニア捕囚の最後の時期の預言をまとめたものです。バビロニア捕囚は、ユダヤの人々にとって、非常に苦しい出来事でした。戦争によって国土が荒廃しただけでなく、内面的にも非常に傷ついてしまいました。自分たちの罪のせいで、このような酷い状況を招いてしまったのではないかと、自分を責め、信仰が崩れそうになっていたのです。確かに人々は、罪深いものでした。神様の愛を裏切り、偶像崇拝に走ってしまいました。正義を軽んじ不正を許していました。このような人々は、神様から厳しい罰を受けて当然です。滅ぼされてもしたかありません。けれども神様の心の中は、それとはまったく別のものでした。「慰めよ、私の民を慰めよ。」神様が預言者に語った言葉です。神様は、それほど罪深い民であれ、どれほど自分を裏切った民であれ、今、目の前で、人々が苦しんでいるのを見過ごしにできないのです。苦しむ民には慰めを与えずにはいられないのです。人の苦しみを前にして、自分の心も痛まずにはいられないのです。神様は、いつ、だれに対しても、苦しむ人を慰めずにはいられない方なのです。愛は、そこから来ているのです。


京都聖マリア教会   


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