2020年9月25日金曜日

パウロは記す。「私には、私たちの主イエス・キリストの十字架のほかに、誇るものが決してあってはなりません。」(ガラテヤ6:11-18)

 パウロの人生の前半は、大変調子の良いものでした。ユダや社会の中で由緒正しい家に生まれ、エリートとして育ち、社会的な力も得ていました。けれども、イエス様に出会ってからの彼の人生は、前半とは正反対のものになりました。ユダヤ社会からも、また時にはクリスチャンたちからも、不審がられ、排斥され、ローマ帝国からも迫害され、時には命を失うような危険な目にも遭い、苦労の多いテントづくりで糊口をしのぎ、のちには持病にも苦しめられました。けれどもパウロは、一貫して明るく、喜びに満ちた生活を送りました。彼にとっては、人生の苦難は、喜びの妨げにはなりませんでした。それどころか、苦しみが、喜びの源にすらなっていたのです。なぜならパウロは、自分の苦しみが、イエス様の十字架につながるものだと実感していたからです。パウロの生活は、十字架一色でした。イエス様の十字架を人々に宣べ伝え、十字架の苦しみを経験し、十字架によって喜びを得ていたのです。イエス様の十字架の上に、パウロの人生の全てが立っていたのです。私たちの信仰生活も、イエス様の十字架の上に立っています。十字架のイエス様を見つめながら、愛の道を歩んでゆきましょう。


京都聖マリア教会   


  https://sites.google.com/view/nskk-org-kyoto-stmaria/main