2020年9月24日木曜日

キリストは地の深みに降りておられたのです。この降りておられた方が、すべてのものを満たすために、もろもろの天よりも更に高く昇られたのです。(エフェソ4:1-13)

  聖書の神様の一つの特徴は、「降りてこられる」ことです。神様は天の御座におられながら、地上の人々の苦しみをご覧になると、地上まで降りてこられるのです。神様は燃える柴の中に降りてこられ、モーセを導かれたのでした。このように、「降りる」ということは、比喩的に、苦しみ、嘆きを指します。イエス様は、十字架に掛かって後、黄泉に下り、既に死んだ人々の魂を救いへと導かれたと、言われています。神様は、人々の苦しみの場へと降りてこられ、そして、苦しむ人々を神様の救いへと導いてくださるのです。私たちは苦しむ時、「落ち込む」とか「沈み込む」とか言います。私たちは苦しみを、「降りる」という形で感じ、表現するのです。神様は、苦しむ私たちの元に降りてきてくださり、私たちを救いへと引き上げてくださいます。けれども私たちは、そのことを、必ずしも実感できるわけではありません。苦しみの重さに、神様の救いを感じられないこともあります。いずれ時間が来れば、救いを実感できるのかもしれません。ただ、聖書には、苦しみは必ず救いへと挙げられる、と明記されています。少なくとも、その聖書の言葉を信じ、希望をもって歩みたいと思います。


京都聖マリア教会   


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