苦難と慰め、という言葉を見て、少し考えました。あまりよく分かりませんでした。私もそれなりに、苦しい経験もしてきました。けれどもそれが、すっかり慰められた、と言う経験は、あまりしていないような気がします。慰められなくても、苦しみを抱えて、じっと我慢する、というのが今までしてきたことのような気がします。私は、少し短絡的に考えていたのかもしれません。苦難の慰めは、そんなに早く来るものではないのかもしれません。長い時間をかけた後に、慰めが来る、もしくは、後から慰められていたことに気づく、そんなものなのかもしれません。それまでの間、私たちはじっと我慢しているのです。ただその我慢は、一人でしているのではありません。神様がそばにいてくださるのです。私たちは、苦しみを抱えて、じっと我慢しながら、神様と共に、愛の道を歩んでゆくのです。我慢の先には、必ず神様の豊かな慰めがあります。
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