今まで牧師として、たくさんの方々にお世話になりました。今の私があるのは、その方々のおかげです。既に天国に行かれた信徒の方々のことを、よく思い出します。礼拝で聖歌を歌っていると、「これはあの人の好きな聖歌だった」と思い出したり、聖書を読んでいると、「あの人はこの箇所を、こんな感じで読んでいた」と思い出したりします。特に若い時にお世話になった信徒の方には、「今の自分の姿を見たら、どう思われるだろうか」と考えたりします。天国に行かれた方々は、今も私の心の中で、生き生きと生きてらっしゃいます。私が覚えている限り、天国の方々は生き生きとしてらっしゃるんだ、なんて考えてみたりもします。けれども、もしかしたら反対かもしれません。天国におられる方々が、私のことを思い出してくださっているからこそ、私は今、生き生きと生きているのかもしれません。誰かの思いが誰かを生かすのだとすれば、神様に覚えていただければ、私たちはとても生き生きと生きることができます。神様はすべての生きとし生けるものを覚えておられます。神様の思いが、私たちを生かすのです。
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