2020年10月9日金曜日

ヨハネは記す。「イエス・キリストこそ、私たちの罪、いや、私たちの罪ばかりでなく、全世界の罪を償ういけにえです。」(1ヨハネ1:8-2:2)

  何かの被害に遭って亡くなった方のことを、よく「犠牲者」と呼びます。犠牲とはいけにえのことで、神様にお祈りするときに、みんなの幸せのために誰かの命を捧げることです。ただ、人間の命を捧げる訳にはいかないので、動物を殺して人間の命の代わりにしたのです。私たちが「犠牲者」と呼ぶ方々の多くは、そのようなお祈りのために亡くなられたわけではありません。多くの場合、何かの事故や事件の「被害者」となられたのです。「犠牲者」と呼ぶことで、今後、世界がより良くなることを願い、亡くなった方に弔意を表そうとしているのかもしれません。けれども、宗教的に厳密な意味では「犠牲」ではありません。私たちの信仰において、私たちの幸せのために「犠牲」となられたのは、イエス様です。そしてイエス様は、そのような「犠牲」は、自分で最後にすべきだ、最後にしなければならない、と考えておられたのかもしれません。イエス様は、ご自分の犠牲の死を美化することはなく、復活による命の希望を私たちに与えてくださったからです。私たちの世界では、残念ながら、日々、多くの方々が、様々な被害によって亡くなっておられます。今後、そのような被害に遭う方が一人でも少なくなるように、世界を少しでも良くしていきたいと思います。


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