2020年12月1日火曜日

恐れるな。私は、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなた方のために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。 (ルカ2:10-11)

思いが言葉となる 宇多田ヒカル "First Love" から


宇多田ヒカル!彼女が世に出た時のことは、よく覚えています。町中、どこに行っても彼女の歌が流れていました。個性的な歌声、都会的というか「宇宙的」と言いたくなるような格好いい曲、一度聴いたらすぐに「彼女の歌だ」と分かり、そして忘れられなくなる曲ばかりです。彼女は日本の音楽を変えました。当時の超人気の音楽家が、「自分には作れない」と言わしめた彼女の歌は、「日本語」という枠を飛び越え、歌詞に混ぜこまれた英語の響きと違和感のない曲とリズムと編曲になっています。ここまでスゴイ歌が、一〇代の「少女」とも言える年齢の女性によって歌われている事実が、日本中を驚かせました。それ以来彼女はずっと、日本の音楽を引っ張っていると言っても過言ではないでしょう。

 今回、久しぶりに彼女の歌を聴きこんでみました。どれも素晴らしい歌でした。あることに気づきました。彼女の詞は、素直な彼女の姿を現しているのです。曲はどれも最先端の、大人びたものです。けれども歌詞は、彼女の生きざまをそのまま表しているんだなぁと思わせるような、思いを素直に表現しているものなのです。「少女」の時に作られた歌には若々しい思いが、大人になってからの歌には、大人の悩みや葛藤が、素直に表現されているのです。その素直さに、共感したり、励まされたりします。

 「言葉」は、私たちが思っている以上に、素直なものなのかもしれません。かつて私はある勉強会で、「説教は否が応でも牧師の人格から語られる」と教えていただきました。どれだけ勉強しても研究しても、最終的に人格から生まれるのが言葉なのです。私たちの言葉は、私たちの人格を、そのまま表すものなのでしょう。

 毎年、クリスマスには、ヨハネによる福音書の「初めに言があった」から始まる箇所が、礼拝で朗読されます。神様はいつも、神様の熱い思いを私たちに語ってくださいます。神様は、クリスマスの喜びを、天使を通して私たちに語られました。神様の言葉が肉を取り、人となったのがイエス様です。イエス様は神様の熱い思いそのものです。イエス様はいつも私たちと共に居てくださいます。感謝して歩みましょう。


京都聖マリア教会HPへ