2020年11月12日木曜日

あなたは不正な裁判をしてはならない。同胞を正しく裁きなさい。自分自身を愛するように隣人を愛しなさい。(レビ19:9-18)

  私たちは、できることなら、裁くよりも仲良くしたいと思っています。けれども、どしても必要な時には、裁かなければなりません。裁きとは、正義を行うことです。悪いことは悪いと判断し、しかるべき報いを受けさせるのが裁きです。正義をないがしろにしてはいけません。そうでないと、力のある者が弱い者を踏みつけにしてしまう社会になってしまいます。けれども同時に、正義とは何なのか、ということも、絶えず考えなければなりません。正しさは、自明のことではありません。人類が、様々な経験の中で学び、考え、みんなで確認してきたことです。時には正義を間違って理解していたり、実行していたりすることがあります。聖書では、正義は、人々の幸せのため、特に貧しく弱い人々の幸せのために尽くすものと理解していました。正義は、愛に基づいて行われるときに、最もその輝きを現わすのです。




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