2020年11月13日金曜日

パウロは記す。「私は、戦いを立派に戦い抜き、走りとおし、信仰を守り抜きました。今や、義の栄冠を受けるばかりです。主が私に授けてくださるのです。」 (2テモテ4:6-18)

パウロは言います。「私はやり切った!」スゴイ言葉ですね。自分のすべきことは全て行った。後は神様が判断して下さる。確かにパウロは、他の人の何倍もの成果と苦労を挙げてきたので、周りのみんなもパウロの言うことを認めてくれることでしょう。うらやましいことです。私たちもこの境地にまで行きたいものです。ふと自分の人生を振り返ってみても、「やり切った」とは、とてもじゃないが言えません。やり残したことばかりです。けれども、もしかしたらそれは、自分のやりたいことができなかった、ということなのかもしれません。自分が、しなければならないことは、実はやり切っているのかもしれません。自分の目から見たら、やり残しの多い人生も、神様の目から見た時には、十分にやり切っているのかもしれません。神様はきっと私たち一人一人に、栄冠を授けてくださるでしょう。




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