私たちは、損得勘定で動くことがあります。これをすれば、自分が損をするか得をするかで、行動を判断するのです。これは別の言い方をすれば、取った取られた、というものだと思います。自分が誰かから何かを取れば、自分の得、自分が誰かから取られれば、自分の損となるわけです。けれども考えてみれば、私たちは全て同じ神様に創られた存在です。すべての人の内には神様の愛があり、私たちは内なる神様によって、一つにつながっているのです。いうなれば、神様の前で兄弟姉妹のような存在である私たちが、取った取られたと言ってみても、最終的には空しいような気がします。私たちの本質は愛です。私たちの行動原理は、助け合いであり、支え合いです。愛の道を歩みましょう。
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