イザヤ書45:21-25フィリピの信徒への手紙 2:5-11
マルコによる福音書15:1-39 イエス様の苦難の場面において、イエス様を助ける者は一人もいません。すべてが、イエス様を苦しめる側の人です。そしてこれは、私達人間社会の正直な姿を現しています。無実な人が苦しんでいる現実は、私たちの社会の正直な姿です。「殺せ殺せ、十字架につけろ」と叫ぶのも、「救い主なら降りてこい」と言うのも、全て私たちの姿です。私たちは、イエス様の苦難の姿を通して、私たちの罪深い姿を見つめ、悔い改めなければなりません。 イエス様の苦難を、安易に言い表すことは許されません。単純な意味づけも、安易な同情も許されません。私たちは、イエス様の苦難を前にして、まず苦しまなければなりません。イエス様の苦しみと私たちの罪深さが、あまりに大きいの知り、言葉を失い、深く悲しまなければなりません。そして、今、この時に苦しんでいる人の苦しみを前に、同じように苦しまなければなりません。 イエス様の十字架を深く黙想し、悔い改め、この地上で平和を求め、愛の道を歩んでいきたいと思います。