2021年4月12日月曜日

パウロはテサロニケの信徒に記す。「あなたがたが信仰によって働き、愛のために労苦し、また、私たちの主イエス・キリストに対する、希望をもって忍耐していることを、私たちは絶えず父である神の御前で心に留めています。」

  愛するとは、つまるところ、誰かのために苦労し、我慢することだと思います。例えば子どもを愛するとき、私たちはミルクをあげたりおむつを替えたりして苦労し、駄々をこねられても根気よくあやし、そして子どもが成長するのを待ち望みます。愛した分だけ、すぐにお返しが来る訳ではありません。いっぱい苦労と我慢をするからこそ、大きな喜びを得るのです。神様も私たちのために、いっぱい苦労と我慢をしてくださっています。互いに愛し合いましょう。


京都聖マリア教会


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