司祭 ミカエル 藤原健久 折々のみことば
愛するとは、つまるところ、誰かのために苦労し、我慢することだと思います。例えば子どもを愛するとき、私たちはミルクをあげたりおむつを替えたりして苦労し、駄々をこねられても根気よくあやし、そして子どもが成長するのを待ち望みます。愛した分だけ、すぐにお返しが来る訳ではありません。いっぱい苦労と我慢をするからこそ、大きな喜びを得るのです。神様も私たちのために、いっぱい苦労と我慢をしてくださっています。互いに愛し合いましょう。
京都聖マリア教会
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