私は子どもの頃から「どんくさい」と言われて育ってきました。体を動かすのも、みんなの中で動くのも、とても苦手です。何をやっても上手くいかない、と思いながら過ごしてきました。それは大人になっても変わりません。だから今でも、何か少しでも出来たら、とても嬉しくなります。「こんな私でも出来た!」と思うのです。もしかしたら、私は、どんくさくて良かったのかもしれません。できない悲しみも、できた喜びも、よく感じることができます。どんくさいからこそ、何でもできる神様の偉大さも、神様が私を支えてくださる喜びも、感じることができるのだと思います。
京都聖マリア教会