司祭 ミカエル 藤原健久 折々のみことば
言葉は頭で語るのではなく、愛の心で語ります。悲しむ人を前にして、「言葉が出ない」という経験を、誰もがしていると思います。目の前の人の苦しみを和らげたい、悲しみを慰めたい、と思い、それを言葉にする力がまだ自分の中にないので、言葉を失うのです。いつの日か、私たちの愛の心が大きくなって、ふさわしい言葉を語ることのできる日も来るでしょう。愛の神様が、私たちの心を通して語ってくださいます。私たちの言葉は、愛の一つの形なのです。
京都聖マリア教会
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