2021年5月17日月曜日

主の僕が受けた打ち傷によって私たちは癒された。(イザヤ53:1-5)

  時に人間は、とても愚かです。「犠牲者」が出ないと、大切なことに気づかないことがあります。誰かが傷ついて初めて、自分たちの課題に気づいて、改善するのです。これは良いことではありません。事前に物事を改善し、誰も犠牲にならないようにすべきなのです。けれども残念ながら、これが、私たちの現実です。誰一人犠牲となる者が出ない世界の実現には、まだ時間が掛かるものなのかもしれません。けれども少しでも世界が良い方向へと進むように、祈りを込めて、努力していきたいと思います。


京都聖マリア教会


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