聖書の信仰は、「神様中心主義」とも言えるものだと、私は考えています。その中でも特にこの箇所は、神様がこの世界で、いかに中心になって、私たちを愛して下さっているかが、はっきりと表現されている箇所だと思います。私たちは日々、様々なことに悩み、不安を感じながら、歩んでいます。けれども神様の目から見た時には、私たちは神様に選ばれ、神様に導かれ、神様の救いのご計画の中で、私にしかできない貴い役割を、しっかりと生きているのです。私自身は何の力もない者です。神様が導いてくださる時、私は私なりに、愛の道を歩むことができるのです。そのことの実感は、私に喜びと自信をあたえてくれます。
京都聖マリア教会