司祭 ミカエル 藤原健久 折々のみことば
「聖」という言葉は、もともと「取り分ける」という意味です。神様のために取り分けて、他のためには使わない、それが「聖」の意味です。神様のことだけが記されているのが「聖書」で、神様へのお祈りのためだけに使われるのが「聖堂」です。神様は、私たちを「聖なる者とする」と仰いました。私たちは、神様のために取り分けられた存在です。神様の愛を行うのが使命です。だから、他のことに関しては、あまり上手じゃないのかもしれません。私たちの本質は愛なのですから、余り器用になれないのかもしれません。
京都聖マリア教会
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