創世記3:8-21
コリントの信徒への手紙Ⅱ 4:13-18
マルコによる福音書3:20-35
イエス様は人々からこう言われていました。「あの男は気が変になっている。」
「彼は汚れた霊に取りつかれている。」随分と酷い言われようです。なぜここまで酷く言われるのでしょうか。何か悪いことをしたからでしょうか。違います。これは、価値観の違いです。
イエス様の価値観は、愛の価値観でした。自分が食事をして体を休めるよりも、
病や苦しみを負う人々を癒す方を優先する価値観です。けれども、イエス様の周りの人の価値観は違いました。きっと、自分の欲望に基づいた価値観だったのでしょう。
私たちは一人一人、違う価値観を持っています。けれども価値観が違うからと
言って、誰かを排斥し、攻撃するのは間違いです。お互いの価値観を認め合い、共に歩む道を探し求めなければなりません。
愛の価値観は、愛を実行する価値観です。「神様の御心を行う人こそ、私の家族なのだ」とイエス様は言われました。目の前の人々を愛し、共に平和を求めていきましょう。
私たちは、イエス様の価値観、つまり、十字架と復活の価値観に基づいて生きています。パウロは言います。「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、私たち救われる者には神の力です。」周りの人びとには理解されづらい生き方かもしれませんが、イエス様を信頼して歩みましょう。
京都聖マリア教会
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