2021年6月6日日曜日

創世記3:8-21   コリントの信徒への手紙Ⅱ 4:13-18   マルコによる福音書3:20-35

  


   創世記3:8-21

  コリントの信徒への手紙Ⅱ 4:13-18

  マルコによる福音書3:20-35


 イエス様は人々からこう言われていました。「あの男は気が変になっている。」

「彼は汚れた霊に取りつかれている。」随分と酷い言われようです。なぜここまで酷く言われるのでしょうか。何か悪いことをしたからでしょうか。違います。これは、価値観の違いです。

 イエス様の価値観は、愛の価値観でした。自分が食事をして体を休めるよりも、

病や苦しみを負う人々を癒す方を優先する価値観です。けれども、イエス様の周りの人の価値観は違いました。きっと、自分の欲望に基づいた価値観だったのでしょう。

 私たちは一人一人、違う価値観を持っています。けれども価値観が違うからと

言って、誰かを排斥し、攻撃するのは間違いです。お互いの価値観を認め合い、共に歩む道を探し求めなければなりません。

 愛の価値観は、愛を実行する価値観です。「神様の御心を行う人こそ、私の家族なのだ」とイエス様は言われました。目の前の人々を愛し、共に平和を求めていきましょう。

 私たちは、イエス様の価値観、つまり、十字架と復活の価値観に基づいて生きています。パウロは言います。「十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものですが、私たち救われる者には神の力です。」周りの人びとには理解されづらい生き方かもしれませんが、イエス様を信頼して歩みましょう。


京都聖マリア教会


https://sites.google.com/view/nskk-org-kyoto-stmaria/main