2021年7月11日日曜日

アモス書7:7-15   エフェソの信徒への手紙 1:1-14   マルコによる福音書6:7-13


  イエス様は使徒たちに、一つだけ、力を与えられました。それは、「汚れた霊に対する権能」です。ですので使徒たちは、一つのことしかできませんでした。それは「悪霊を追い出し、病人をいやす」つまり、愛の奉仕です。イエス様の弟子は、愛の奉仕以外には、何も力のない人々です。彼らは愛することしかできない人々のです。

 イエス様に従う教会も、愛だけを行います。私たちの教会も、愛以外には、何の力もありません。しかも、その愛の奉仕さえ、十分な力がありません。思いはあっても力が無いのが、正直な姿です。けれども私たちは、愛の道を外れる訳にはいきません。何の成果も残せなくても、それでもこの世界にあって、愛の奉仕を続けます。もしかしたら、このような私たちの姿を見て、誰かが同じように愛

の奉仕を行ってくれるかもしれません。私たちの愛の奉仕が、誰かに愛の感化を与えるかもしれません。これを「証し」と言います。たとえ具体的な結果に乏しくても、イエス様の愛の光を少しでも人々の前に輝かせること、このような証しが、私たち教会の使命なのでしょう。

 イエス様は十字架によって私たちの罪を贖うと同時に、私たちが十字架を見倣い愛の奉仕を志すようにしてくださいました。イエス様の十字架は、私たちを復活の希望へと導くのです。十字架の道を歩みましょう。


京都聖マリア教会


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