2021年8月22日日曜日

  ヨシュア記24:1-2a、14-25   エフェソの信徒への手紙 5:21-33   ヨハネによる福音書 6:60-69


 イエス様から離れない


     ヨシュア記24:1-2a、14-25

  エフェソの信徒への手紙 5:21-33

  ヨハネによる福音書 6:60-69


 ペトロはイエス様に言いました。「主よ、私たちは誰の所へ行きましょうか。」これは、イエス様から決して離れないという信仰告白です。ここで思い出す言葉があります。私が以前赴任していた教会で、着任早々、信徒の方から掛けてもらった言葉です。「先生、あんたが何をしても私たちはつまづかないから、自由に何でもしてくれ。ここに居る連中は、イエス様から離れようのない人ばかりだ。」新米の牧師を安心させようとしてかけてくださった言葉です。確かにこの教会の人びとは、イエス様から決して離れない、固い信仰の方々でした。けれども確固としたクリスチャンとして生きることは、楽ではありません。同じ教会の方がこう言われました。この方は、病気で入院中に洗礼を受けた方です。「洗礼を受けたばかりの時は、みんな親切にしてくれるし、いろんな援助をしてくれるし、クリスチャンになるとは、なんと結構なことかと思っていた。元気になって退院してからは、献金も奉仕も大変だし、クリスチャンであるとはなんと大変なことかと思った。」正直な気持ちだと思います。地方の小さな教会を支えることは、とても大変なことです。それでも、この方を始め、この教会の方にとって、「クリスチャンをやめる」ということは、全く考えに無かったと思います。クリスチャンであることが大前提で、楽しいことも苦しいことも、感謝も愚痴も、全てをクリスチャンとして語り、生活してゆくのです。

 クリスチャンになったからと言って、お金持ちになるわけでも権力を握るわけでもありません。反対に、クリスチャンであるからこそ、他の人よりも苦労することもあるでしょう。けれども、クリスチャンだからこそ、私たちは、天国が約束されていますし、神の国の希望を持ちますし、復活の永遠の命を得ることができます。イエス様から離れず、愛の道を歩みましょう。