申命記8:1-10
エフェソの信徒への手紙 4:30-5:2
ヨハネによる福音書 6:37-51
イエス様は言われました。「私は命のパンである。」パンは何のためにあるのでしょう。私たちが食べて元気になるためです。パンの姿を眺めたり、パンとは何かと考えることもあるでしょうが、それは根本的な目的ではありません。イエス様は、愛の命のパンとして、私たちに愛を与えて、私たちが愛に生きることができるように、私たちの元に来て下さいました。
イエス様はまた言われました。「信じる者は永遠の命を得る。」私たちは何を信じるのでしょうか。それは、イエス様は命のパンであるということであり、その意味は、私たちは神様から愛されており、私たちも人を愛することができる、ということです。愛の交わりを信じることで、私たちは永遠の命を得ます。この世界は、お金や力が大事で、愛は無力であるかのように、私たちに伝えます。決してそうではありません。愛こそが私たちを救うのです。
パンにはもう一つの性格がありました。それは、食べられれば無くなる、と言うことです。その通り、命のパンであるイエス様は、十字架の上で肉体の命を取られました。けれども復活により、永遠の命を示してくださいました。私たちは、イエス様との愛の交わりを通して、永遠の命を得るのです。
京都聖マリア教会
https://sites.google.com/view/nskk-org-kyoto-stmaria/main