分からないけど、信じていく。
イザヤ書50:4-9
ヤコブの手紙 2:1-5,8-10,14-18
マルコによる福音書 8:27-38
イエス様は言われます。「人の子は必ず多くの苦しみを受け、…排斥されて殺され、三日の後に復活する。」ペトロはこの言葉の意味が分かりませんでした。ペトロの考える「救い主」のイメージと全く違っていたからです。ペトロは自分のイメージをイエス様に当てはめようとして、イエス様からひどく叱られます。
私たちも、イエス様のことが分かっていません。私は、いまだに、イエス様の十字架と復活が分かりません。また、「自分の十字架を背負う」ということが、具体的には何を指すのか、「自分の命を救う」と言うことが、何を意味するのか、分かりません。
私たちはイエス様のことが分からない、というのが正直な姿なのでしょう。イエス様は神の子です。人間の理解を超える方です。理解できないのが当然とも言えるでしょう。けれども、そこで止まっていてはいけません。聖書の中で、ある人がイエス様にこう言います。「信じます。信仰のない私をお助け下さい。」この人は、自分に信仰がないことを認めたうえで、イエス様を信じていくと、表明しているのです。信仰が未熟でも、不十分でも、イエス様のことが何も分かっていなくっても、イエス様を信じて歩みだすことはできます。分かっていなくても、イエス様に信頼してこの世で愛の道を歩むのが、私たちの信仰の姿なのでしょう。
けれども心配することはありません。イエス様への信頼は、決して裏切られることはありません。今まで星の数ほどの人びとがイエス様に信頼して歩みを始め、多分そのほとんどの人々が、イエス様に感謝をささげています。また聖書の人びとは、たとえ信仰の故に苦難に遭うことがあっても、神様を賛美し、神様を信頼することの喜びを表しています。
イエス様に信頼し、愛の道を歩んでいきましょう。