司祭 ミカエル 藤原健久 折々のみことば
私は洗礼を受けたとき、本来の自分に戻ったような気がしました。新しい教えを信じるというよりかは、今まで直視してこなかった自分の本質をしっかりと見つめるようになった気持ちでした。自分の良いところも悪い所も混ざって、でこぼこになった自分に、しっくりと合うように自分を支えてくれるものが自分の土台なのでしょう。イエス様はそのような土台として私たちを支えてくださっているのでしょう。