神様の目
列王記上17:8-16
ヘブライ人への手紙9:24-28
マルコによる福音書12:38-44
私達の世界には2つの目があり、私達を見つめています。一つは人の目です。
人の目は、この世の富や名声に目を留めます。もう一つは、神様の目です。神様の目は、愛と正義を見つめます。私たちはもっぱら、人の目を意識しています。
けれども私たちを本当に幸せにし、救うのは、富や名声ではなく、愛と正義です。
私たちは、神様の目を意識して生きていきたいと思います。神様がいつも私たち 見ておられることを心に留め、正義を求め、愛を行いましょう。
イエス様は、神様の目を持っておられました。人の目が見逃す、貧しいやもめの献金にしっかりと目を向け、そこに込められた彼女の心を大切にされました。
同じように神様の目を持っている人が、私達の身近にいます。それは子どもたちです。子どもの目は、正しいことを真っ直ぐに見つめます。大人のような忖度はありません。私たちは子どもの目を意識したいと思います。「いつも子どもが見ている」と思えば、自分の行動が変わってくると思います。また、子どもの姿を見ていると、神様の御心を、より深く理解できます。子どもは人を裁かず、ひたすら人を愛し、赦します。どのような人でさえも、時には自分を傷つける人でさえも、何とかして赦し、愛そうとします。神様の愛と赦しを生きている子どもたちだからこそ、神様の目を持つことができるのだと思います。
神様の目は、人の目が見えないものを見抜きます。人の目から見ると、十字架は無意味なものであり、復活はあり得ないものです。しかし神様の目から見ると、十字架と復活は人間への愛と永遠の命になります。神様の目に見つめられていることを覚え、少しでも神様の目に近づくように、愛の道を歩みたいと思います。