2021年12月12日日曜日

  ゼファニア書3:14-20   フィリピの信徒への手紙4:4-7   ルカによる福音書3:7-18

 

希望の信仰。

   ゼファニア書3:14-20
  フィリピの信徒への手紙4:4-7
  ルカによる福音書3:7-18

洗礼者ヨハネが、来るべき救い主について語ります。「聖霊と火で洗礼を授け、…火で焼き払われる。」燃える火と共に来られる方、これは恐ろしい裁き主を意味します。ヨハネの言うことは間違いではありません。けれども不十分でした。イエス様は、裁きよりも、愛をもって人々を救われる方でした。ヨハネは、旧約聖書の信仰が強すぎて、愛のイメージが少なかったのでしょう。ヨハネはまた、次のように語ります。「私よりも優れた方が来られる。」これから、救い主が来られる、神様の救いは、これから始まる、と言うことです。これから先に、良いことが起きる、未来には必ず神様の救いがある、とヨハネは力強く告げているのです。これは全く正しいことでありました。

 これから良いことが起きると信じること、これを希望と呼びます。この希望には目に見える根拠はありません。この世的な保証はありません。けれども聖書がそう証ししています。これより力強い保証はありません。イエス様の救いは、十字架と復活をもって為されました。十字架で終わりならば、この世界は絶望的でしょう。けれどもイエス様は、十字架の後に復活してくださいました。これによって、世界は希望で満ちていることが示されたのです。私たちの信仰は、希望の信仰です。私たちは絶望に打ちひしがれる者ではなく、希望によってこの世界を歩む者なのです。

 未来において救い主が来られるまでの間、私たちは日々、救い主を迎える準備をしなければなりません。どのように準備すればいいのでしょうか。ヨハネは言います。「悪いことは行わず、自分のすべきことをしなさい。」これも間違いではありませんが、不十分です。私たちは、それだけでなく、愛を行っていかなければなりません。愛は、自分がすべきことよりも、少し多めに行うことです。自分がすべきことから、少し踏み出して、誰かのために奉仕することです。愛の日々を通して、救い主をお迎えしましょう。