2021年12月25日土曜日

イザヤ書61:10-62:3   ガラテヤの信徒への手紙3:23-25、4:4-7   ヨハネによる福音書1:1-18

 全てを一つに。 

  イザヤ書61:10-62:3

  ガラテヤの信徒への手紙3:23-25、4:4-7

  ヨハネによる福音書1:1-18


 「初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。」これは、三段論法と言うのでしょうか。「言と神とが同じ」と言うことを言いたいために、3段階に分けて説明しています。これは、一見同じとは思えないものだからこそ、この様に説明するのです。言と神という、一見同じとは見えないものが、同じである、いや、正確には、イエス様によってこの二つが一つとなった、と言うことを、本日の福音書は伝えています。

 「律法はモーセを通して与えられたが、恵みと真理はイエスキリストを通して現れた。」これもそうです。これは、律法と福音を指しています。律法は正義を強調し、福音は愛を伝えます。正義と愛は、両立しにくいものです。けれどもこの二つが、イエス様によって一つとなったのです。

 イエス様は、様々なものを一つにしてくださいます。それは、一見同じとは思えないようなものだけでなく、どう考えても正反対としか思えないようなものをも一つにしてくださいます。イエス様は、十字架と復活によって、死と命を一つにしてくださいました。十字架の死の中に復活の命を備えてくださったのです。そのようなイエス様ですから、どんなに正反対なものでも、一つにしてくださいます。それは、世界の中だけでなく、私たちの心の中においてもそうです。喜びと悲しみ、絶望と希望、憎しみと愛情、好きと嫌い、私たちの心の中にある正反対なものを、イエス様は一つにしてくださいます。

 考えてみますと、クリスマスは、神様と人間と言う、全く違うもの、正反対と言っても良いものが、イエス様によって一つとなったことをお祝いする日です。イエス様は、神と人とを一つとして、そのことを通して、神様の救いを全人類に与えてくださったのです。

 私たちの世界にも、私たちの心にも、正反対のものが渦巻いています。イエス様はそれらを一つにして、全てを神様の救いのために用いてくださいます。