2022年1月6日木曜日

すると二人の目が開かれ、自分たちが裸であることを知った。彼らはいちじくの葉をつづり合わせ、腰に巻くものを作った。(創世記三・七)

恋から愛へ。


赤坂アカ『かぐや様は告らせたい』から

司祭 ミカエル 藤原健久

すると二人の目が開かれ、自分たちが裸であることを知った。彼らはいちじくの葉をつづり合わせ、腰に巻くものを作った。(創世記三・七)

 人気のマンガです。テレビアニメ化もされ、また人気俳優が出演した実写映画も二作公開されました。
 超優秀な学校の生徒会長と副会長が、互いに好意を抱いています。けれども異常にプライドの高い二人は、自分から告白することを、恋愛における敗北だと思っています。彼らは超優秀な頭脳をフルに用いて、何として相手から自分に告白させようとするのです。
 大好きなのに素直になれない、思いがうまく伝えられない、策士が策に溺れて、混乱して、でもどこかで相手と通じ合う、そんな不器用な恋愛模様が、時に爆笑を巻き起こしながら、読者の心に温かいものを生み出してくれます。
 今作はいわゆる「ラブコメ」です。考えてみれば世の中には、何と多くの「恋愛」にまつわる作品があることでしょう。歌謡曲も、ドラマも、小説も、こぞって恋愛を扱い、小さな子どもからお年を召した方まで、多くの方がそれらを楽しみます。私は今回、「恋愛って何だろう」と考え込んでしまいました。
 聖書を見てみますと、人類最初の恋愛は、アダムとエバの恋愛でしょう。彼らが恋に落ちたのは、「善悪の知識の木」の実を食べた時でしょう。その時初めて「恥ずかしい」と思って、相手を意識したのです。
 ギリシア語で「愛」は、複数の言葉が用いられています。その中で「エロス」は、本能的な愛だと言われています。「エロティック」という言葉もあるように、性、また生殖に関わるものでしょう。それに対して「アガペー」は、神様が人間を愛する愛です。これは、自分の欲望よりも人の幸せを大切にし、相手の幸せのために尽くそうとする愛です。イエス様が教えられる「愛」は、この「アガペー」です。
 恋愛は、相手を求める欲望を昇華させたもの、と言われます。これは「エロス」から「アガペー」へと向かう過程にあるものと言えるでしょう。私たちは、欲望中心の思いから、イエス様の説かれる愛へ向かって歩んでいます。「恋愛」は、神様が私たちを、「アガペー」へと導くために用意して下さったものなのかもしれません。アダムとエバの姿は、私たちの成長の中に、神様がまことの愛への道を用意して下さっていることを、私たちに教えてくれているのでしょう。