2022年3月20日日曜日

  出エジプト記3:1-15   コリントの信徒への手紙Ⅰ 10:1-13   ルカによる福音書13:1-9

 イエス様は言われます。「あなた方も悔い改めなければ、皆同じように滅びる。」イエス様の言われる悲惨な出来事と、悔い改めとは、基本的には関係ありません。私たちが悔い改めのお祈りをしたところで、同じような被害に遭わないとは限らないからです。イエス様の言われる「悔い改め」とは、私たちが日頃思うものとは、少し違い、「人の苦しみを、人ごとにせず、自分のこととして受け止め、取り組むこと」のように思います。私たちが悲惨な出来事に無関心だと、状況は改善されず、再び同じような悲惨な出来事が起こるかもしれません。私たちが誰かの苦しみを人ごととせず、自分のこととして受け止めるなら、二度と同じようなことが起きないように状況を改善し、被害者を支えようとするでしょう。そのような取り組みが、世界を少しずつ平和にしてゆき、自分も平和に暮らせるようになるのです。

 悔い改めとは、人の苦しみを人ごとにせず、自分のこと、つまり「自分ごと」として受け止め、取り組むことと言えます。大斎節において、しっかり悔い改めていきたいです。

 私たちは誰かの苦しみを、自分ごととして受け止めます。私たちは、イエス様の十字架も、「自分ごと」として受け止め、取り組みます。イエス様の十字架は、苦しみだけではなく、人類への救いの御業でもあります。十字架を受け止めるとは、人を愛する覚悟を新たにすることでもあるのです。私たちは、十字架を思って悔い改め、愛の道を歩んでいきたいと思います。