2022年6月5日日曜日

使徒言行録2:1-11   コリントの信徒への手紙Ⅰ 12:4-13   ヨハネによる福音書20:19-23



懺悔、赦し、平和。 


   使徒言行録2:1-11
  コリントの信徒への手紙Ⅰ 12:4-13
  ヨハネによる福音書20:19-23

 聖書にこう記されています。イエス様が「手とわき腹をお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。」イエス様の手とわき腹には、十字架でつけられた傷が残っています。これは弟子たちにとっては、自分たちがイエス様を裏切り、見捨てたことの印です。イエス様の傷は、弟子たちが傷つけ、イエス様が傷つけられた事の印です。そのような傷を前に、イエス様と弟子たちが喜び、笑っています。
 傷つけた者と、傷つけられた者とが、共に喜び、笑うということは、極めて難しいことです。ほとんど不可能です。けれども、ごくまれに、実現します。フランスのテゼ共同体では、新しく礼拝堂を作る時、ドイツの青年と他の国の青年たちが、共に力を合わせて労働奉仕をし、「和解の教会」と名付けられました。また第2次世界大戦中、シンガポールで牧師をしていた人が、日本軍に長い間捕らえられ、拷問を受けました。牧師さんは苦しみの中で、その日本兵のために神様に祈りました。戦後、その日本兵は、その牧師さんから洗礼、堅信を受けたのだそうです。
 傷つけた者と傷つけられた者とが和解するには、深い深い懺悔と、深い深い赦しが必要です。イエス様は言われました。「聖霊を受けなさい。誰の罪でもあなた方が赦せばその罪は赦される。誰の罪でも、あなた方が赦さなければ赦されないまま残る。」聖霊は、私たちに人を赦す勇気を与えてくれます。それは同時に、私たちが懺悔する勇気をも与えてくれるのでしょう。
 イエス様は復活された時、「あなた方に平和があるように」と言われました。平和の実現は遠く、難しいです。けれども不可能ではありません。イエス様と弟子たちは、十字架の傷を乗り越え、和解しました。平和はきっと実現します。平和を求め、愛の道を歩みましょう。