申命記30:9-14 コロサイの信徒への手紙1:1-14 ルカによる福音書10:25-37
身に着ける。
申命記30:9-14
コロサイの信徒への手紙1:1-14
ルカによる福音書10:25-37
「良きサマリア人のたとえ」と言われる物語です。私たちは、困っている人を見れば、率先して助けなければならない、というのは、頭では分かっています。けれども私達、また祭司やレビ人は、いざと言う時に、体が動かなかったのです。
私たちに必要なのは、頭で正しく理解し、そしてそれを実行する、と言うことです。神様の教えは、実行してこそ、身に付くものなのです。何度も何度も実行して、時に失敗して、そして徐々に愛が身についていくのでしょう。
頭で分かっていることと、実行することとがずれてしまう、それは、このサマリヤ人も同じでした。サマリヤ人にとってはユダヤ人は、半ば「敵」のような存在です。助けてしまうと、自分が何か不利益を被るかもしれません。それは頭では分かっていても、体が動いてしまったのでしょう。愛を身に着けた人は、たとえ自分が損をすることがあっても、愛を行うようになるのです。
イエス様の十字架は、頭の中の判断を超えて行われた、愛の行為なのでしょう。私たちはイエス様の十字架を前にする時、ただただその愛の大きさに圧倒されます。この愛を、どのような言葉で言い表すのかは、私たち一人一人の課題なのです。十字架は、まず愛の行いがあって、それから頭での理解へと移るのです。それほどまでに、愛そのものになったのが、十字架なのです。