エレミヤ書23:1-6
コロサイの信徒への手紙1:11-20
ルカによる福音書23:35-43
「お前は王だろう。」「お前はメシアではないか。」これらの言葉によって、イエス様の十字架がえん罪であることが分かります。人々がイエス様に、自分勝手な期待をかけて、それが裏切られたことに腹を立てているのです。十字架は、人々の勝手な思いと醜い欲望が暴走した、醜い暴力です。
しかしそのような中でも、愛の光は輝きました。イエス様は一緒に十字架につけられていた犯罪人に、「あなたは今日、私と一緒に楽園にいる」と希望のメッセージを語られました。この犯罪人は、この言葉で救われたことでしょう。この出来事は、私たちにとっても、救いです。
実はこの時、最も嬉しかったのは、イエス様だったのかもしれません。イエス様はそのご生涯において、ひたすら愛を教え、愛を行ってこられました。けれども、その肉体の生涯の終わりにおいて、イエス様の前にあるのは、暴力だけでした。イエス様は、自分の愛の生涯は無駄だったのではないかと、絶望しておられたかもしれません。けれどもこの時、一人の犯罪人が、イエス様を庇い、イエス様を信じたのです。この時イエス様は、自分の生涯が無駄ではなかったことを確信し、喜ばれたことでしょう。
私たちにとって、最も苦しいことの一つは、自分がしてきたことが無駄だったのではないかと思うことです。けれども神様は、私たちの生き方を、決して無駄にはなさいません。必ず、良いように導いてくださいます。私たちが誰かを愛したその愛は、広がっていきます。課題が大きくて、志半ばで終えたものは、必ず誰かがその後を引き継いでくれます。
神様に信頼し、私たちは、愛の道を歩んでゆきたいと思います。