映画『バンブルビー』から
ペトロが振り向くと、
人気作品、「トランスフォーマー」物語に連なる映画です。
幼稚園児の保護者の方にこの映画のDVDをお貸ししたら、
その子に「どこがおもしろいの?」と聞いてみました。答えは、「
誠実さ、結びつき、愛、
さて、イエス様から見た時、私たちは「可愛い」存在でしょうか。
司祭 ミカエル 藤原健久 折々のみことば
笑ってよ、僕のために。
50歳ごろから、「いつか自分も死ぬ」という当たり前の事を、改めて意識するようになりました。平均寿命から考えて、あと20~30年は大丈夫でしょうが、分かりません。明日、突然召されるかもしれません。だから、いつ召されてもいいように、後悔しない生き方をしたいと思っています。いつか分からないからこそ、今の命を大切にしたいと思います。
検診で、内臓の調子が少し悪いことが分かりました。「どうしかたら良いですか」と聞きますと、「水をたくさん飲んでください」と言われました。知らぬ間に、内臓が脱水を起こしていることがあるのだそうです。私たちの魂も、知らぬ間に渇いているかもしれません。イエス様という命の水を飲みましょう。
「人の子は、思いがけない時に来るからである。」人の子が来る、と言うのは、神の国の実現のことであり、それは終末、つまり世界の終わりを指しています。「世の終わり」と言うと、世間のカルト宗教が良く口にすることもあって、眉唾ものの、胡散臭いもののように感じるかもしれません。けれどもキリスト教は、明らかに、終末を信じる宗教です。私たちが望もう望むまいと、終末は必ず来る、ということを、心に留めておく必要があります。
最近の災害や戦争の状況を見ると、聖書で書かれているよりも厳しく恐ろしいことが起こるかもしれません。私たちは、自分が考え得る最悪の予測をして、物事に対処すべきかもしれません。
けれども同時に、私たちは、苦しみの後には、必ず神様の救いがあることも信じなければなりません。イエス様の十字架の後に、イエス様のご復活があったように、苦しみや混乱の後には、必ず神様の救いがあるのです。それも、私たちの想像しうるよりも、もっと大きく素晴らしいものです。イエス様は、御自分の十字架を予測しておられました。それはイエス様にとっては、最も苦しい予測でした。イエス様は、十字架の後に復活があることも予測しておられました。それは、イエス様にとっても、想像を超えた最高の喜びだったのでしょう。
私たちは、最悪の予測と、最高の希望をもって、愛の道を歩みたいと思います。
村の真ん中には、教会やお寺や神社があります。家の真ん中には、仏壇や祭壇や祈りの場所があります。私たちの心の中には、神様がおられます。あなたと私の間に神様がおられる。みんなの交わりの真ん中に神様がおられる。嬉しい時も悲しい時も、神様はいつも真ん中におられ、私たちを愛して下さっているのです。
十字架で、イエス様が私たちの罪を贖ってくださった、と言います。少し難しい教えです。ただただ素直な視線で、聖書を読んでみると、そこには、イエス様の大きな愛がありました。十字架で苦しみながらも、人々のために、神様にお祈りしておられました。十字架には、恨みも、裁きも、憎しみもなく、ただただイエス様の愛がありました。