形にならないもの 恩田陸『蜜蜂と遠雷』から
直木賞と本屋大賞を同時に取った話題の小説です。映画化もされ、人気俳優が出演していました。架空の「国際ピアノコンクール」を巡る人間模様を描いた作品です。黒いピアノを前にして、主人公たちが様々な思いと苦労をもって、演奏し、成長してゆく様子を描いています。世界中でどれほど多くの人々が、ピアノを練習し、高みを目指しているかをしって、改めて驚きを禁じえませんでした。すべてを犠牲にするほどの努力の中で、けれどもプロの演奏家になって活躍できる人は、ほんの一握りなのです。この事実も、小説という形を通して登場人物たちに近づき、共感してゆくと、どれほど過酷で大変な世界なのかが分かります。
私は読みながら、またもや感動して泣いてしまいました。私はクラッシック音楽に関しては殆ど無知です。小説に記された音楽知識や情報は何も分かりません。私が感動したのは、音楽に纏わる空気といいましょうか、音楽の底にある物に触れたからだと思います。演奏されたそばからすぐに消えてしまう音色の奏でを、小説が様々な文字で表現しています。そのような多方面からの表現によって、音楽の底にある生命力や精神性などを照らし出してくれているように思います。小説の中で、題名にあるように、街中で不意に聞こえる蜜蜂の羽音や、空の遠くで響く雷鳴が印象的に描かれていました。蜜蜂も遠雷も、五線譜には表現できません。けれども音楽にはこれらも含まれているのでしょう。音楽は耳の心地よさだけでなく、私たちの命そのものを震え立たせ、元気にし、新たに生きる力を与えてくれるものなのだろうと思います。
かつてある宗教学者が言いました。形にならないものこそが神様の本質だ、と。神様は様々な言葉で表現されます。けれどもどのような言葉を用いても神様を表現しつくすことはできません。言葉にならない神様からからの、また神様への思い、それが祈りであり、理屈で割り切れない大切な人との関りが、愛のように思います。
音楽と祈りとは、深くて大きいつながりがあるように思います。これからも日々新たに音楽と出会いながら、祈りと愛を深めてゆきたいと思います。